鬼滅の刃の映画を観に行こうと思う

 鬼滅の刃のアニメが流行っている。映画の売り上げもすごいらしい。

 うちの家族でも、妻、息子、娘みんな好きだ。

 妻なんて、映画を7回見に行ったと言っていた。

 その中で私だけ、特に興味を持たずに過ごしていた。

 

 流行するものには理由がある。流行したものはチェックしておけ。

 私は割とその言葉が好きだ。自分にはない世界がそこに広がっているから。

 それでも自分のやりたいこと、楽しいことはいっぱいあって、

 それを優先して生きていると、流行に踊らされない自分になっていく。

 でもそれは、流行の乗れない遅れた自分になっていくのと表裏一体だ。

 

 自分は興味ないかもしれないが、他の人は魅力を感じている。

 人は魅力に惹きつけられて、欲望に後押しされて、危険に煽られて、行動に移す。

 そこには理屈では語れない理論があって、人間味があっておもしろい。

 理屈で語れない理論。なんとも矛盾した言葉のように思える。

 でも例えば、人が恋に落ちる時なんかは、理屈で語れない理論が動いてやしないか?

 商売や経済での購買行動なんかも、理屈で語れない理論が動いてやしないか?

 

 たぶん、理屈を実践して結果を出しているのではなくて、

 結果に基づいて理屈を「後付け」して理解しているからだと思う。

 

 例えば、心臓の薬。

 心臓の働きが弱くなった時、心臓をもっと働かせれば体は回復する。という理屈があった。

 ところが、心臓をもっと働かせる薬を飲んだ方が死亡率が高まるというデータが出てしまった。

 では逆に、心臓の働きを弱める薬を投与してみた。

 そしたら、予後は良好になり生存率は上がった。

 そこで、「心臓の働きが弱くなった時は、がんばらなくていいよ、休もうよ、とした方が心臓には良い」という理屈が「後付けされた」。

 理屈の世界である理系の世界だって実はこういう考え方が基本だ。「仮説、検証(実験)、結論」という流れ。

 

 世の中が面白いと言っている「結果」を観に行こうと思った。

 

 妻に、鬼滅の刃の映画を観に行きたいと言った。

 まじ? やったーーーーーーーー!! と返事が来た。