炸裂する理系バカの話をうんうん聞いてくれる妻

 関数f(x)の極大値を求めよ、といった問題を久々に解いた。割と楽しかった。

 

 美人女子高生の解けない問題を順番に解いて、簡単な解説をつけていく作業。それをなぜか妻からお願いされている。高校の問題。解き方は忘れていて、でもキーワードは頭に残っていた。微分とか、解と係数の関係とか、いろいろ。そういったキーワードを検索にかけていくと、解き方を解説したページにたどり着くことが多い。便利な世の中になった。ヘタしたら問題文をそのままコピペして検索したら解答が出てきそうな勢いだ。と思っていたらとある動画でそんなことを言ってる人がいた。おもしろい。

 

 カンニングや試験と、学力や知識との関連性について頭を巡らせる。個人的に感じることは、例えば、

・タンパク質は分解されるとアミノ酸になるとか、

アミノ酸はアミン+カルボン酸なので、略してアミノ酸なのだとか、

・アミンとカルボン酸が順番にくっついていったものをタンパク質と呼んでいて、

・だから逆に分解するとアミノ酸なのだとか、

・そのアミンとカルボン酸がくっついた結合をペプチド結合と言うのだとか、

こういった知識は高等知識ということになっている。高等学校で習う事柄だからだ。だがこのレベルの話は高等知識ではなくて基礎知識としてみんな知っていてほしいと思うことが往々にしてある。なぜ知っていて欲しいか。それは自分の体を構成する物質の話だからだ。なぜそう思うことが往々にしてあるのか。この程度のことを知らずに「卵黄ペプチドは体にいいですよ、抜け毛が減りますよ」などといった宣伝文句に踊らされる人が後を絶たないからだ。

 

 卵黄ペプチドはとても素晴らしい健康食品で、体にとてもいい。高齢になると抜け毛も増えて寂しくなるが、卵黄ペプチドを毎日食事と一緒に摂取していれば抜け毛も減り、若々しくいられますよ。みんなの前で明るい自分でいられますよ。と言われて30日分10000円支払っちゃいそうな時に、もし科学の基礎知識(=今では高等とされている知識)があれば、

・卵黄ペプチド → 卵の黄身のタンパク質 で、

・タンパク質は食べると胃の中で酵素(ペプシン)で分解されてアミノ酸になる

・分解されちゃってるから卵黄ペプチドとして毛髪に影響するという可能性はない

ということに気づくことができる。すると卵黄ペプチドに30日分10000円支払わずに済むんじゃないかと思うのだ。どうしても卵黄ペプチドを食べたければ卵の黄身を食べればいい。卵の黄身は卵黄ペプチドそのものに近いだろう。卵1個を30日食べても900円いくか?という程度。10000円しない。

 

 心臓の働きを助ける薬、血圧を下げる薬、痛みを抑える薬、骨を強くする薬。そして湿布。これら計9種類の薬は確実にその人の健康を支える。その薬代は保険が効いていて30日分2000円だった。で、卵の黄身ってだけである健康食品:卵黄ペプチドは30日分10000円。呆れる。でもこういったことは多いのだ。

 

 似たような例で、コラーゲン鍋というものがあった。食べるとお肌が綺麗になるといった触れ込みで広がったが、これも、

・コラーゲン はタンパク質 で、

・タンパク質は食べると胃の中で酵素(ペプシン)で分解されてアミノ酸になる

・分解されちゃってるから卵黄ペプチドとして毛髪に影響するという可能性はない

と、卵黄ペプチドと全く同じ理論で美容に関係ないと断定できる。でも、高等知識になっているため、知らない人が多すぎて騙される人(主に美容を気にする女性)が後を絶たなかったし、むしろ美人が宣伝したりしてブームになってしまった。頭が悪くてもかわいいは正義だし、そこで便乗して金儲けするとおいしいのでどうしようもない。

 

 なので、この程度の知識は高等知識ではなくて基礎知識として浸透してほしいと思う。

 

 そのためには教育レベルを抜本的に上げるようなシステムにしないといけないと思う。今の中学、高校の教育はつまらないことが多いと思うし、そういった基礎の基礎の知識はカンニングGoogle検索などで簡単に解答が出せるようにトレーニングして、本当に知恵になる知識を早くから吸収できるようにした方が、科学の基礎知識もわからず騙される人が減るのではないか、と感じる。

 

 以上の話を妻に対して熱弁していた。そして、カンニングとか検索をOKにしたら試験システムはどうすればいいのか。といった話を始める前にひと呼吸置いた。すると妻が口を開いた。卵黄ペプチドの話はよくわかんないけど美容の話は別に騙されてもいいんじゃないかって思う。だってほら。例え本当には意味のない行為だったとしてもさ、やってる時は自分は綺麗になれる!と思えて気分も上がるし、それは精神上いいことだから。別に綺麗になってなくてもいいんだよ。そう妻は言った。

 

 その話を聞いて、確かになと思った。救われるって、そういうことなのかもなと、ふと思った。