家族には渡さないお土産、仕事場へは持ってくるお土産

 田舎に住む私が都会に住む家族のもとへ向かい、田舎に戻ってくる際に都会のお土産を買って、仕事場で配る。それを見た同僚の1人が「家族へ土産は持っていかないのですか?」と聞いてきた。それを考えたことはなかった。不思議だな、おもしろい発想だなと思った。

 

 その人は、単にお土産を渡した相手が喜ぶもんだという価値観なのだろうと思った。確かに家族にお土産を持っていけば喜ぶだろう。だが、お土産がなくても家族は私の帰りを喜んでくれる。ならば、お土産にはお金をかけるだけのプラスαの付加価値がいるように思う。そこで品を考えるわけだが、食べ物の場合、土産品でなくても甘ければ子供は喜ぶので、わざわざ買う意味はない。ならばその土地の風土を感じるものであればどうか。子供に旅行の趣味はまだ芽生えていないので風土を感じる可能性は限りなく低い。そして妻は田舎の生活に未練はない様子だ。観光で私が田舎に行ってたのなら観光欲もそそられるだろうが私は仕事と生活をしているだけだ。よって、わざわざお土産で喜ばせるという発想はなかった。お土産買うくらいならそのお金で豪華な食事を一緒に食べた方が余程家族は喜ぶ。

 

 一方、仕事場へは都会の土産を持っていく。その大きな目的は、「仕事に穴を開けましたが、その間皆さんで穴を埋めてくれてありがとうございます」という気持ちだ。そしてそこに都会の匂いがするものを持ってきて、都会の話をきっかけにコミュニケーションを取る効果も狙える。なので、持ってきたお土産がどう扱われるかをものすごくチェックする。そこにスタッフの本音や本質、私との距離感が垣間見えるのだ。お礼を言ってくれる人。お土産から話を発展させてくれる人。何も言わない人。むしろいらないと拒否する人。そもそもお土産という概念が嫌いな人。それぞれの人の特徴に合わせて、今後仕事を円滑に進めていく指標にする。ここ半年くらいはコロナウイルスのこともあって、お土産を持ってこようもんならウイルス源と批判されかねない勢いだったので、久々のお土産持参だった。そしてそのお土産に対する反応データは着々と蓄積されている。

 

 そんなことを考えていた昼下がり。随分と寒くなった。