とある会いに行く日

妻「今日ってこっちに来るんだよね?

 

 自宅の最寄駅にたどり着いたその時、妻からLINEが来た。家族に会いに行く時、いつもはお昼過ぎに出発して夕方に到着するスケジュールだが、この日は仕事がいつもより遅い時間に終わった。そこで不安になった妻がLINEを送ってきたというわけだ。時計は午後7時半になろうとしていた。

 

 別居した当初は息子と2人同居だったこともあり、お互いの家を頻繁に往復するのは交通費的にきついものがあった。なので自然と月1、2回の往復になることがほとんどだった。息子が妻の方に行って1年半。今は月3回前後の往復になっている。単純に交通費が2/3になったので往復が3/2倍にすることができるというのもあるが、自分が好きな家族と過ごす時間を、今しかない貴重な時間だと実感するようになっていて、その影響で往復回数を増やしている。

 

 在来線の普通列車が駅に止まる。真っ暗な中、人は閑散としていた。電車の扉が開いている間、静寂が流れる。

 

 家族と過ごす時間は大切、という表現にはいつも躊躇する。家族だから大切、なのではない。私にとってとてもいい人達で、彼らもまた私を大事に思ってくれている。その彼らがたまたま妻で、子供達だった、というのが正直な感覚だ。大切にしていない家族、大切にされていない家族、というのもこの世界にはたくさんあるようで、家族という言葉に込める気持ちは人によって変わる。だから、家族だから大事だ、というのは正しくないといつも思うし、押し付けがましい感じがして好きではない。だから躊躇する。軽く扱われるような家族という言葉ではないし、だからといって特別に思いを込めているわけでもない。やはり家族という言葉を使わない方がいいかもしれない。

 

 魂の友。そう、魂の友という表現が近いかもしれない。その人達が、たまたま私と家族という形になっている。といった感覚だ。そういうのを家族と言うんだよ、という声が聞こえてきそうだ。でも違うのだ。私は家族以外の人達とも魂の友になりたいと思っていて、コミュニケーションをとる時は相手がどれだけ自分と距離を詰めてくれるかを必ず見ている。悲しいことに、みんな私が思っているほどに距離をつめ合おうと思っていないようで、結局距離を詰めてくれるのは妻と子供達しかいないのだ。だから魂の友は家族以外の人達とでも十分にあり得るし、現状そういう関係になってくれてる人達に対しては自然と大事にしたいと思えるから、冷たい他の人達に優しくする暇があるなら冷たくない人達に喜んでもらいたいと思う。といった流れで、結果的に家族を大事にしているという形になっている。そういった悲しい結果を「家族が大切だ」という言葉に含めている。

 

 新幹線ホームにある出店で夕ご飯食べようとしたら「本日は終了しました」の文字。19:50分にオーダーストップと書いてあった。時計を見たら19:59。コロナウイルス自粛の影響をくらってしまった。残念。弁当屋さんは開いていたので、駅弁を買って新幹線に乗り込む。家族LINEに現在地を伝える。子供達からの返事はない。妻は何か一言、あったかい言葉を返してくれる。

 

 みんなとやりたいことはたくさんある。娘のNintendo Switchのジョイコンがそこそこ壊れていて、思い通りにゲームができないそうだ。ジョイコンは子供が無茶に扱うのに耐える仕様にはなっていないようで、うちでは最初にSwitchを手に入れた息子がスマブラスプラトゥーンを中心に遊びまくって、ジョイコンの調子が悪くなった。ちょうどその頃にSwitchを手に入れた娘にジョイコン交換しない?と交渉し、兄貴は見事に新品のジョイコンを手に入れた。何も知らない妹は少々誤動作の混じるジョイコンでなんとかゲームをしていたが、先日手を離すと常にカーソルが左に行ってしまって使いにくそうにしていたのを見兼ねて、新しいコントローラーを買ってあげた。それを今回運んでいる。

 

 新幹線の最寄駅に着いた。最寄駅といっても、そこから別宅までは在来線で1時間はかかる。帰路とは少しずれた所に妻の仕事場があるので、そちらに寄って仕事終わりに一緒に帰るのもいいなと思いLINEを送った。しかし返事はすぐに来ない。20分程度経過しても反応がないので、忙しいのだろう。それなら早く別宅へ帰って子供達と少しでも多くの時間を過ごす方向へ路線変更した。

 

 みんなとやりたいことはまだある。息子と一緒に暮らしていた時に、二人でボンバーマン3をたくさん遊んだ。妻の所に行った息子はボンバーマン3を持ってくることを私に期待していたのだが、息子の勉強する習慣が身につくまでは持ってくるまいと控えていた。やがて息子も新しい生活に慣れ、完璧とは言えないものの周囲の学力に遅れをとりすぎることはない程度に勉強は習慣化しつつある。それなら息子と一緒に遊べる残り少ない時間を優先する方向に自然となっていく。そこで今回出発時にボンバーマン3、マルチプレイタップを鞄に詰め込んだ。ボンバーマン3はマルチプレイタップを使えば5人プレイができるので、家族みんなで遊ぶこともできる。にわかに騒がしくなるだろうリビングの雰囲気を想像して、つい楽しみになってしまうのだった。

 

 新幹線の中でCDの曲をデータ化してiPodに入れた。Spirit CatcherのNight Visionというアルバム。それを再生する。楽しみにしていた曲が流れる。最高。音楽ひとつで気分が良くなる。お手軽な性格でよかったと思う。当面鬱病になることはない。

 

 みんなとやりたいことはまだある。娘は宿題を早めに済ましてしまう傾向があって、それはとても素晴らしいことで嬉しいのだが、欲は出てくるもので、勉強をうまくこなしている様子を見るとつい、さらにレベルの高い勉強を教えてしまいたくなる。先日娘につい平方根を教えてしまった。小学校高学年の娘に中学3年の内容だ。でも基本的な考え方は数字なのだから同じわけで、計算を教える感覚で平方根を教えてしまった。「ルート2かけるルート2? 2でしょ」と答えてくれる娘を見てるのが超絶楽しい。そこで本屋へ行って中3数学問題集を買って、今回の荷物に入れた。もっとルートを教えて遊びたい。娘自身はぬいぐるみを使ってパパとママごとしている動画を撮りたいと思っていて、どちらの意見が通るか見ものだ。あと、Mother2の続きも一緒にやりたい。

 

 みんなとやりたいことはさらにある。娘と平方根の話をしている横で息子が因数分解の計算が得意になったと自慢してきた。どうやら高校数学の範囲の因数分解もやってのけてやるからパパ問題出して!と宣戦してきた。おもしろい。中学生のくせに。上等じゃないか。そうやって上のランクに挑戦するのはとても嬉しい。今息子は私立中学に行っているのだが、どうやら中学2年間で3年分の勉強をやり終えるカリキュラムらしく、レベルの高い問題を解くことに充実感が出てきているようだ。公立中学で同じようなことが起こったかどうか、とつい想像してしまう。当初は私立中学に入れる意味なんてあるかどうか不明に感じていたが、意味があるような感じで成長していて嬉しい。そこで本屋へ行って、高校数学の問題集を買って、今回の荷物に入れた。息子と因数分解問題解き選手権が始まり、勉強がそれほど好きではなかった息子があろうことか喜んで因数分解の難しい問題を解いていくことだろう。そう。勉強の醍醐味はそこなんだ。難しい問題が解けた時の充実感。手応え。そして相対的に簡単になってしまった標準問題を余裕で解ける自信。おもしろい。

 

 列車は田舎道を走り、都会のビルの間も駆け抜けていくのだが、風景はもちろんのこと、そこにいる人々も様変わりする。田舎で外で見かける人は老人ばかりで若者は絶滅したんじゃないかという雰囲気があり、都会は若者がたくさん溢れていて活気に満ちていて、同時にオラついてる雰囲気もあったり、他にも単純に人が多すぎて居心地悪い面もある。夜に流れる風は季節的にだいぶ気持ちよくなってきたが、その風の冷たさも家を出る時、家族の家に向かう時、その家を出た後、そして遠く離れた家が近くなった時で感じ方が変わってくる。

 

 みんなとやりたいことはもっともっとある。先日、美人女子高生に化学を教えるためにコメダ珈琲店にこもって問題を解いていたのだが、その時に目についた新しいスイーツのメニューを写真に撮って妻に送ったら、おいしそう!食べたい!と返事が返ってきた。よって時間を見つけてコメダ珈琲店に行ってそれを頂く予定だ。ただ妻は仕事が忙しそうだ。時間が取れないかもしれない。その場合は順延だ。

 

 家族の住む家の最寄駅までたどり着いた。家族にLINEを送る。今感じる風はとても心地よく、快適だ。