娘が泣いている

娘が泣いている。
パパに会いたいと言って泣いている。
早くだっこされたいと言って泣いている。
一緒に自転車に乗りたいと言って泣いている。
 
 
離れて暮らすことになり、初めて妻と娘を残し、息子を連れて帰る時に、「ずっと一緒にいると思ってたのに・・・・」と、当時7才の娘がつぶやいて泣き出した瞬間、妻と私の涙が止まらなくなった。仕事の関係で夫婦が離れて暮らすことを決めた時、夫婦は大人だったから、覚悟をもって決めた。当時10才の息子には決断の荷が重いかもしれないと危惧したが、じっくり話して理解してもらった。娘は6才だったから自分で決められるはずもなく、親の判断で妻の所で生活すると決め、小さいうちなら友達関係も新たに構築しやすいだろう、そう考えていた。実際、新天地で新しい友達はでき、人間関係は特に問題を起こしていないようだった。ところが、父親に対してとても大きな愛情を持っていて、その存在が遠くなって悲しい思いを与えることは予想外だった。
 
 
一緒に暮らしていた頃も私は当然平日は仕事三昧で、娘が起きる前に仕事へ向かい、娘が寝た後に帰宅することも多々あったので、実際の接触時間は離れて暮らしたところで大きく減っているわけではなかった。そして、一緒に暮らしていた頃は特に何も考えることなくお互いが存在していた。ところが離れて暮らしてからは、会える時間は可能な限り娘は父親にべったりくっつくようになった。次はいつパパと会えるの? と両親に問いかけるのが習慣になった。やがて息子も妻娘と暮らすことになり、パパはいつ一緒に暮らせるようになるの? と聞くようになった。
 
 
テクノロジーは進化し、片道6時間以上かかる距離でもインターネットを使ってテレビ電話をすれば、予定を合わせて顔を見せ合うことも、声を交わすこともできるようになった。それでも、埋まらないものはそこにあった。「パパに会いたいよ。。。」。会わないと得られない何かが、そこにあることを娘は知っていた。両親の都合で取り上げられたその「何か」を。
 
 
家族と離れて暮らすこと。それが家族にとって最善の決断であったことは間違いなかった。だが、娘の心に穴を開けてしまったのではないか。自分のやっていることは、本当に正しかったのだろうか。娘の悲しい顔を見るたびに、迷いが生まれるのだった。