麻薬のようなSNS

 ふと自分のSNSアカウントのトップページを見た。2010年から使い始めています、と表示されていた。そんなに昔から使っていたんだ、と驚き、そんなに昔から使っているのにたいした成果も残っていないんだ、と思った。
 
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 友綱は元々自分のホームページを作っていた人で、そこでは日記、写真、懐かしのFLASH動画、掲示板を用意し、自分の趣味の範囲で作品を公開しながら、訪問してくれた人と交流する、そんな生活を送っていた。そんな折、おもしろい自虐ネタを自分のサイトで披露してくれていた人が、これからは今流行のmixiで主にネタを出す、mixiは紹介でしかアクセスできないサイトなのでご興味のある方は招待します、とサイトに残し、その後更新されなくなった。そこで友綱は、その人のネタを見続ける目的でmixiに招待してもらった。
 
 mixi内では、日記を中心に交流が活発に行われていて、その交流の量は友綱が運営しているサイトよりも多く、仲がよさそうな雰囲気だった。仕事に関係するコミュニティもあり、そこで知識を得たり、自分の能力を試すこともできた。誰がいつ自分のページを見てくれているのかもわかりやすかった。自然と友綱は、自分のホームページを更新する頻度が減り、mixiでの交流に時間を割くようになった。
 
 だが、mixiは主力を徐々にサイト内ゲームに移行するようになっていった。友綱は、オンラインでゲームをするよりは、スーパーファミコンに電源を入れて据え置き型ゲームを楽しむ方が好きだった。なので、サイト内で徐々にサンシャイン牧場などの話で盛り上がっている輪の中に入りにくくなってきた。そんな折に知ったのが、twitterだった。
 
 自分のホームページを動かしている時も、mixiに時間を割いている時も、日記を更新する作業は手間に感じていた。そこでtwitterの140字制限が気軽に思ったことを書き込めそうで、気に入った。同時期にブログも流行りだしていたが、日記なり文章を更新していかないといけない点で、二の足を踏んだ。
 
 twitterでもまた、これまでと違った人たちと交流することができた。気軽に話せる人も、たくさんできたような気がした。サイト内を見ていると、ぽっと出の人のちょっとした発言が炎上し、即席に有名人になっていたりした。友綱はうらやましい思いと共に、それを見ていた。友綱には、炎上して注目を浴びるほどの器は持ち合わせていないようだった。フォロワー同士の会話もある程度はつながるが、それ以上はいわゆる相手に嫌な思いをさせないようにするためにほどほどにつなぐ会話、となっていくことも多く、なかなか気を遣うし、本音を話せないものだなあと感じていた。
 
 それでも、流れるタイムラインの会話に絡んでいくと交流した気分になれるし、たまにいいねがついたりリツイートされると嬉しかった。なにより自分の選んだフォローしている人たちは、当然興味のある人を選んでいるのだから、それらの人々の言葉を読んで過ぎていく時間は早かった。タイムラインはいつまでも続くので、いつまでも読み終えた気になることは無く、それがまた次の細切れの時間を侵食していくのだった。
 
 そして、ふと自分のアカウントのトップページを見た。2010年から使い始めています、と表示されていた。そんなに昔から使っていたんだ、と驚き、そんなに昔から使っているのにたいした成果も残っていないんだ、と思った。成果? 自分は何の成果を求めていた?
 
 友綱はいつも、自分のファンを、心の友を、求めていた。自分のホームページを作っていた時から、ずっと。
 
 ホームページでは、自分に興味を持つ人しか関わってこれない構造だったこともあり、訪問する人々は友綱の何かに興味をもってアクセスしてくるのだから、そういった欲求はある程度満たされていた。変わったのは、mixiを始めてからだ。SNSでは、自分の興味のある方向に関わりを求めていく。自分の好きな方向なのだから、中毒のように気持ちいい。しかし、そこで友綱は振り返った。SNS内で、自分に関わりを持ち続けようとしてくれている人はどれだけいる? そして自分は、そのSNS内で人に影響を与えるようなものを残したか? しかもそれは、半永久的に閲覧できるものなのか?
 
 友綱は愕然とした。なんにもない。ほんとに、なんにもない。あんなに時間を割いていたものなのに。自分の無能っぷりを認めざるを得ない。自分はSNSの養分になっていることに気づいた。自分のファン。心の友。全然いない。どこにも。
 
 ・・・・・どこにも? そんなことはなかった。自分のファンは、いた。心の友も、いた。どこに? すぐ、そばに。妻がいる。子供がいる。妻と子供は、心から友綱のことが好きだったし、それを惜しみなく表現していた。家族だから好きでいてくれているというものではなく、一人の人間として、友綱のことを好きでいてくれている。それが理解できる程度に、妻と子供は友綱に愛情表現をしていた。ほんとこいつら最高だな。そう友綱は思った。だから、ネットのなかで同じような存在が全然いなくても、心は穏やかでいられるのだった。他にだれもいなくなっても、こいつらは絶対に一緒にいるから。
 
 しかし、本当に今自分の周りにいるだけしか、存在しないのかな。こんな最高な人達と、これ以上知り合うことはできないのかな。世界はそんな淋しいものなのかな。友綱は、なんとなく諦めきれなかった。
 
 少なくとも、SNS上でだけでは見つからないようだ。そこで友綱は、麻薬のように時間を割いていたSNSとは距離を置くことに決めた。そして、再び自分の場所を作る。別に妻と子供が最高なだけでも、十分に豊かなことだと思うけれど、もっと最高が増えればもっと楽しいし豊かだろう。そう思いながら、友綱はこのネット上に自分の場所を作っていくのだった。自分のファンを、心の友を、最高になれる気分を求めて。
 
 友綱は、新しい日記のタイトルを打ち込んだ。
「愛し合う夫婦が別居してからの記録を残す日記」