サウンドに埋め込まれたインスピレーション

 ノイズキャンセリングイヤホンから米津玄師さんの曲が流れている。

 その時私の目の前にだけ、私の家族の家の周辺の風景が映し出される。

 

 妻がハマり始めているということがきっかけでCDを借りた。

 好きになった曲は「アンビリーバーズ」と「あたしはゆうれい」。

 妻の乗る車に曲がセットされていて、乗っている間に聞くことになっている。

 その時にこれいいなあと感じて自分のiPodにダウンロードした。

 そのような流れで曲を知ったものだから、

 リズムに乗って歌いたい時に「あたしはゆうれい」を流すのに

 目の前には私の家族の家の周辺の風景が映し出される。

 

 不思議なことに、家族と離れている日常では米津玄師さんの曲を流さない。

 特にそう決めているわけではなくて、なんとなくそんな感じになっている。

 たまに、米津玄師風のリズムに乗りたいと思うことがあって、

 それが決まって仕事場に向かう数分間の車の中だったりするので

 家族の家の周辺の風景の中に割り込んで、仕事場に向かう下り坂の風景が紛れ込む。

 

 自分の好きな曲、よく聞く曲にはだいたいこのような

 何かしらの風景、感情、時代などのインスピレーションが紛れ込んでいる。

 これは意識してそうなっているのではなくて、

 音と共にいろんな事柄が記憶が残るように、

 脳の仕組みがそうなっているのではないかと思っている。

 昔妻と大喧嘩をした前後にBGMで流れていた曲は

 これを聴くと悲しくなると妻が言ってから、二人の間では封印された。

 昔のゲーム音楽を紹介して、その頃の思い出を語るネットの人もいる。

 そんな感じで、この「サウンドにインスピレーションが埋め込まれている」感覚は

 人間みんなが持っている感覚ではないかと思っている。

 

 そんな感じで今聞いている「あたしのゆうれい」は、

 他の人はどんなインスピレーションを埋め込んでいるのだろうか。

 私は家族と暮らす中でふと独りになった時間、例えば

 最寄駅に息子を車で送ってから車の中で独りになった時間、

 夕食の買い物をして荷物を車の中に積み込んで運転席に座った時間、

 といった、ひと呼吸置いた雰囲気のインスピレーションを埋め込んだようだ。