記録を残しておくことについて再考した

夏目漱石の作品「思ひ出すことなど」という短編小説の中の一節に、

 

『1日の起きたできごとを、全て文章にするにはまた1日かかる。なので、生きていて起こったできごとを全て記録することはできない』

 

といったような内容の事柄が書かれていたことを、よく思い出す。要は、全然更新していない言い訳をしようということなのだが、日々生きているといろんなできごとがあり、それぞれに夢中に暮らしていると、いつの間にか3か月たっていた、というような感覚がある。先ほど前回の更新を確認したら、約3か月前だったということなのだが。

 

日々、夢中に暮らすこともとても楽しいし、今感じてることを記録を残したいという思いも、強い。時間の割り振り方が上手ではない。ないのだが、そこは改善するつもりもない。よって、マイペース更新は続くだろう。それでいい。それでいいと思うが、ほかの方の日記で、週1回などの定期更新で読み応えのある文章が出ていたりすると、やはり定期更新していった方が読んでくれる方も増えて、楽しいことも増えるだろうな、と感じる。

 

そこで、これからは何らかの定期更新を考えていこうと思う。こうやって文章を残すことは楽しい。自分の文を読み返すことも、今のところは、まあ楽しい。問題は、定期更新の期間をどう設定するか、という点。義務になると、つまらない。マイペースでできる期間を設定する方が続けやすい。またはライターを雇うか。今は、ライターにお金をかけるほどの価値はない日記なので、期間を設定する方法でいく。

 

昔、嫁とセックスした記録を残す記(うる覚え)という内容のブログが、このはてなにあり、話題になっていたことがあると記憶している。そのように、何かイベントがあるごとに日記を更新する、という手がある。最初は、そのような更新方法がおもしろいなと思っていたが、実際にそれをやろうとすると、妻や家族に会っている時の時間の密度が濃く、書きたいことが猛烈に出てくる。そして、会っていない時間は仕事をしたり、食事をしたり、寝たり、ぼーっとしたり、遊んだりしていると、書く時間が無くなる。やはり、時間の割り振り方が上手ではない。なので、この方法も向かないことがわかった。

 

今、仕事で月1回のミニ情報チラシを作製している。月1回というペースは、実際にマイペースに仕事をしていても達成できる目標だ、と感じる。よってこの日記も、最低月1回ペースで更新していくことにした。最低月1回なので、余力があれば、2回でも3回でも。その辺は自由にした方が、マイペースにできそうだ。ところが、月1回の更新だなんて、存在を忘れられそうに感じる。感じるが、目標を低く設定して、それをクリアしていく方が続けられそうだ。よって、しばらくは「最低月1回」でいってみようと思う。

 

日々いろんなことが起こり、その度にそれを記録したいと思う。そう思う時間はだいたい朝の通勤時間と、仕事中に発生する細切れの時間だ。あれを書こう、これを書こう。いつ書くの? 夜。仕事が終わってから。そう毎日考え、夜はおいしいごはんを作って、食べて、お風呂に入って、お風呂上りにほかほか気分でくつろいで、そのまま寝て、次の日の朝、車を運転しながら、またあれを書こう、これを書こう。いつ書くの? という毎日が繰り返していく。日記のネタを書いた紙の切れ端が日々増えていく。その切れ端を見ながら、日々いろんなできごとがあるもんなんだなあ、何もメモしていないと、なんにもできごとなく気がついたらもう今年も終わりだ、とか言ってそうだな、などと、頭の中はオチもなく考えが広がっていく。

 

記録を残す行為、という事柄だけでもいろんな考えが思い浮かぶ。日記を残す意義、twitterをやる意味、facebookInstagramをしない意味。Instagramといえば。日々の記録を写真に残すことについて、Instagramが流行する遥か前にやめてしまったのを思い出した。日常を味わいたい、楽しみたいと思った時に、写真に記録する時間が無駄に思えたからだった。実際、写真をむやみやたらに撮影していたが、それを編集・吟味する時間はあまり作らなかった。過ぎ去った時間よりも、これから迎える時間を楽しむ方が好きなのだろう。

 

『1日の起きたできごとを、全て文章にするにはまた1日かかる。なので、生きていて起こったできごとを全て記録することはできない』

 

まさにその通り。よって、この日記もまた日々の時間の魅力によって、過去の時間の記録がないがしろにされ、更新が滞ることは、これまで通りあり得る。ところが、記録を残しておいて、よかったと思うことは必ずある。例えば。

 

今月からは妻や子供と過ごす時間について、頻度を減らすかわりに1回あたりの時間を長くすることにした。具体的にいえば、3月までは2週間に1回のペースで会いに行っていた。週末土曜日曜を過ごす感じだ。4月からは息子が妻の方で暮らすことになったこともあり、妻が息子との時間に欠乏を感じるリスクがなくなったので、会うのを月1回にし、そのかわりに、過ごす時間を金土日月にする。そうすることで、たっぷり時間をすごせる実感があるのでは、という試験的運用だ。リスクとしては、会えない時間が長くなるので、寂しくなる。それに耐えられるか。経過観察中だ。

 

そんな時、ふと昔撮影した妻の写真が見たいなあと思い、物置を探したら、21歳の頃の妻の写真が出てきた。若くて激烈にかわいい、笑顔の写真だ。

 

写真を見ると、当時の思い出が蘇ることはもちろん、俺はこんないい女を連れてるんだな、と、忘れかけていた感覚が呼び起こされた。日々暮らしていると、素敵な人が近くにいることを当然のように感じてしまうことが多々あり、ぞんざいに扱ってしまうことがある。そこで登場する過去のベスト写真。大切な存在なんだよ、と思い出させてくれる、良いきっかけになった。次に妻や子供に会えるまでの時間、この激烈にかわいい写真をチラリと見て、おまえ笑顔最高だな!! とつぶやいて、日常に戻る。という小さな楽しみができた。

 

こういうこともあるので、要所要所で写真を残しておいてよかったなあと思うし、この日記もそういう記録になると楽しいだろうなあと思いながら、これから先に迎える時間が楽しめなくならない程度に、無理なく更新していきたい。

 

今回は、選手宣誓のような日記でした。