ただの少女好きの変態の事件、では済まない社会的な事件

新潟の女児殺人・死体遺棄事件は、子供を持つ親を中心に、とても大きな衝撃を与えた。連日報道されていることからも、いろんな立場の人達が影響を受けているのだろう。

 

ここまでわかっている範囲内での事件の概略はこうだ。

・2018年5月7日、8歳の女児がJRの電車にはねられた。

・しかし、はねられる前から女児は死亡していたことがわかった。死因は首を絞められたことによる窒息死。

・犯人は1週間後に逮捕。23歳の男。

・被害者と犯人の自宅は近い。

・女児は友達とさよならした後の、自宅までの約100メートル内で連れ去られていた。

・学校から女児の自宅まで約500メートル。

・犯人の犯行には行き当たりばったり感がある。

 

子供を持つ親にとって衝撃が大きいのは、この「自宅から学校まで約500メートル、友達とさよならしてから自宅まで約100メートルのところで、襲われている」という点だ。こんな近距離の安全が保障されなくなったら親としてはお手上げだ。なす術がない。よって事実、事件が起こってからというもの、日に日に小学生のお迎え・見送りをする親が増えている。自分の子供を守るのは親しかいない。そういった雰囲気だ。私も、こんな事件が続くなら娘には学校に行かせない。通信教育で十分だ。人間関係の構築には集団の環境が望ましいのでは?という意見には、それは学校にいった人がみんな人間関係の構築がうまかったらそう言えますよね、でもそんなことないでしょ? 学校ちゃんと行ってもコミュ障はコミュ障でしょ? といったことを中心にいくらでも反論は浮かぶ。

 

そんな反論は本題から外れるしどうでもよいので話を戻す。

学校が終わった子供をお迎えに行けない共働きの親なんかは気が気でないだろう。より子供の安全が優先される方向に、働き方の改革が進むだろう。子供の安全が高い市町村へ市民が引っ越し、そういった面から地方行政の格差が出てくるようになる。実際私達が別居する時にも、妻と娘が住む地域の選定には安全性優先だった。女しかいない状況でも暴漢に襲われるリスクを極力なくし、安心して見守るには、地域の安全が最優先になるのは当然だった。今回の事件によっても、ますますその方向性は強まるだろう。

 

報道を見ていると、犯行が計画的だったかどうかとか、動機がどうだとか、犯人に対するクローズアップが目立つように感じる。親達にとって大事な所はそこではない。世の中に数多いる、自分の娘(息子)を狙う変態達から子供を守るためにできることは何か。焦点はそこだ。そこを中心に社会システムが揺るがされた事件だ。犯人は裁きを受けるだろうが、その理由は犯行が計画的かそうでないか、ではなく、犯人の責任能力とか精神鑑定とか、でもなく、こういう変態に対する判例はこんなもんだとか、でもなく、たくさんの親と社会システムに恐慌を与えた、という一番大事な理由によって、裁かれてほしい。もしそうならなければ、親達は子供の安全を守るために、義務教育を中心とした社会システムを無視し始めるきっかけになるだろう。