職業的プロフェッショナルと、アーティストの違いについて自分と照らし合わせた

 先日のちきりんさん(id:Chikirin)のVoicyが面白かった。職業的プロフェッショナルとアーティストを比較し、「求められたことを生み出す人と、求めには関係なく自分のやりたいことをやる人」という対比の仕方をされていて、その動機付けで活動の方向性、傾向、本人の満足度が変わってくるという話。つい自分の活動を振り返ってしまう、そういう話だった。

 

 自分にとって、今やってる活動はどうか。やってきた活動はどうか。自分はそもそも日記とか文章とかを書くのが好きな人間ではない。なぜ文章を書いているのか。それは今のネットスペースで一番見られてるフォーマットが文章だと思うからだ。つまり、「求められていることを生み出す」方にフォーカスしていたわけだ。でも実際「私の文章」が求められているわけではない。「おもしろい」文章が求められているだけだ。だからこの日記を書くのが楽しみではないし、手っ取り早いくコンテンツ化できるのが作文だから書いてる、ってだけなんだ、と客観的に把握できた。そりゃ毎日更新できないわけだ。ネタは毎日出てくる。でも書くのが面倒なんだもの。

 

 「ウケそうなこと」と「やりたいこと」。どちらかを優先するなら「やりたいこと」。これを再認識した。よくここで出している「薬屋の話」。これも「やりたいこと」ではなくて「求められたことを生み出していること。職業的プロフェッショナル」だ。これをコンテンツ化するという方向性が間違っている。あくまでも「小話」としてとどめておき、「本当にやりたいこと」に注力すべき、それを表に出す場作りを優先すべきだなと感じた。その場作りでできた場の1コンテンツとして「日記」を用意すればいい。昔、女の子の写真を撮ってネットに作品として上げていた時は、そのようなサイト作りをやっていた。やっぱりあれが正しかったのだ。SNS、特にmixiを始めてから自分は「ただの人」「ただのmixiの1コンテンツ」になってしまった。「サービスが無料の時は、無料で使ってる人が商品だ」とはよく言ったものだ。そして今はTwitterを使いながら、Twitterの1コンテンツになってしまっている。

 

 ネット活動、1からやり直しだな。

 

 どうでもいいんですが上の文を見て、「職業的プロフェッショナル」って表現も英語に照らし合わせると変な表現だと思った。professionの意味は「職業」だから直訳すると職業的職業的とかいう意味不明な表現になる。

 

 妻とLINEで話す。卒業式が近いので卒業イベントを仕事場でやるのだけれど、そのお祭りの中で服を脱ぎたがる人がいておもしろいという話で盛り上がった。その脱ぎたがる人というのはイベントごとに服を脱ぎたがる性格で、いつも一人で脱いではわーきゃー言われて恥を全面的に表現している男なのだが、なんと後輩にも脱ぎたがる人が出現したので、脱ぎたがる人達のリーダーになって仕切っていると聞いて超笑った。さらに前貼りをするときに後輩たちは普通にガムテープで股間を隠す布を貼ってたので剥がす時に毛が抜けて泣き叫んでいたが、当のリーダーはそんなことは予測済みなので剥がしやすいように優しく貼っていたという話を聞いておもくそ笑った。そのリーダーは東工大に入学できる程度の頭脳の持ち主なんだそうで、その頭脳をそういう所に使っているのがとてもいいと思った。