ゲームをしている姿は周りから見るとウザい

息子が四六時中ゲームをやっているのが、ウザい。

 

息子がウソをついて禁止しているゲームをしてから、1度目は課金の危険性と、嘘をつくことの道徳性をくどくどと語り、2度目はさらに課金による家計の崩壊リスクと、人間の信用度についてくどくどと語り、3度目の嘘でもうめんどくさくなって、数ヶ月に一度の実力テストで結果が出ればいいやと半ば諦め、その実力テストが4月にあって結果が散々だったので、もうこいつに期待できるものはないと放置、という方向性になっているのが、今。

 

嘘や隠し事をするのは子供が大人から精神的に独立して自分のやりたいことをなんとかやろうとしている現れだと捉えた私は、以降は徹底的に大人扱いすることに決めた。自由を主張するなら責任を持て。できないならオレに従え。それができない奴にごはん食べさせたくないからその時は勘当だ。というスタイル。親子関係だから非情に見えるが、友達関係なら当たり前のことで、そんなことができない奴は寄生厨とかペットだ。子供と考えるからクソ生意気で思い通りにならないストレス源になるわけで、大人と考えれば11歳の男子なんてチンカス以下のチョロイ存在。いかようにも料理できる。昨日もカレーを作った時に息子がルーを入れたいと言ったのて、12分割できるルーの1かけらだけ入れさせてあげると言ったら、「2かけら入れたい。。。」と言った上で、最終的には半分ぶんどってルーを入れる権利を獲得した、というくらいの低レベルな争いに真剣になる、純粋な11歳の男の子なので、少々生意気になろうが私の方が遥かに生意気レベルは上だ。

 

これは社会性を見せる男親だからこそできることではある。女親にはこういう方向よりも愛情を注いで見捨てない方向性が良いだろうなあと思うし、妻もその方が向いている妻だ。母親がアメ、父親がムチ。でバランスが取れるんじゃないかなと思ってる。思ってるが、うまくいくかは知らない。知ったことではない。でも、こういう考え方をしていると、片親で精神的にまともに育った子供はすごいなと思う。たぶん親がカッコいい背中を見せてたんだと思う。自分も育て方を語るとするなら、本当はそんなの語りたくもないんだが、敢えて語るとするなら、オレの背中を見て学び取ってもらえればと思っている。アレはいい、アレはダメとか管理するのはめんどくさい。

 

で、ここからが本題だが、冒頭の話。息子がゲームをやってるのが、ウザい。なんでだろうと考えた。私自身はゲームが好きだ。でも息子がやってるのは見ていて楽しくない。私は子供の頃にゲームを規制され、とても不自由を感じたし、その反動か、一人暮らしを始めてから有り余る自由時間に心から満足し、それ以降親と暮らしたいとは微塵にも思わない。子供の頃にゲームを規制されたので、息子が自由にゲームできれば、それはさぞかし息子も嬉しいだろう、オレってめっちゃいい奴じゃん! とか思う。思うのだが、実際自由にゲームをさせるとウザいのだ。

 

明確な理由はまだわからない。

でも、自分もゲームやってた時間は、このように周りからウザがられてたんだろうなあ、ということはわかった。これは今後気をつけていこうと思う。