愛着ある時間とさみしさは比例するのか?

こまめに娘の電話を鳴らすようにしてから、娘は電話が鳴るのが楽しみになり、そして父と会えないことをさみしがることが増えた。

テレビ電話をしていても、まだ話したい、まだ切りたくない、と駄々をこねるのが増えた。

 

久しぶりに家族全員で過ごし、新幹線でお別れする時に娘が泣くのが毎回ドラマになっている。先週末に会ってお別れする時は、新幹線のホームに着いてすぐに新幹線に乗り込むことになってしまい、ホームで娘を抱き上げる時間がほとんどなかったので、私と息子が新幹線に乗り込んですぐに娘は泣き始めてしまった。最近は出発するまでは泣かない娘になっていたはずなのに。

 

愛着ある時間を増やすほど、離れた時間がつらくなる。それが女か?

 

新幹線に乗った男連中は、さー腹減ったーとか言って弁当を食べ、スマホタブレットを手に取って今の楽しみを探す。絆さえ確認できれば、また会える日が来るのはわかっているから、さみしくなんかないし、悲観したりしない。それが男。

 

帰りの電車で、泣いて不満を言う娘をなだめていたと妻。これも毎回の別れ際のエピソードなので、そうかそうかと話を聞く。お互いが家に着き、子供がそれぞれ眠った後にメッセージを送り合う。男たちがいなくなった空間がさみしい、と妻は言った。そうかそうかと私が笑う。がんばってね、君のことを愛しているから、とメッセージを送った。それを見てもっとさみしくなって泣いた、と妻が次の日に言っていた。娘をなだめていた妻は、本当は一緒に泣きたかったんだね。

 

次に会うのは、そこから3週間後です。

仕事のシフトがうまく調整できて、クリスマスと結婚記念日を含めて3泊4日を確保。愛のある時間を過ごせば過ごすほどさみしさも増すようだけど、だからこそ会っている時間が貴重に思えるよな。そういう時間を過ごそう。